血よりも強く 第3章「夢みる傷痕」  28* 縺 -Crossing destiny-




「カリアニート派です。旧キセー帝国の、最左翼ですよ」
 ジャックはこめかみに指を押し当て、組んだ足を解こうとすらせずに青年を見上げた。取り敢えず件の恋人の顔は脳裏の隅に追いやる。
 キセー帝国、と眉を顰めながら応えた。
「外国人は市会議員になれないぞ。映画館の従業員の方は何人でも構やしないが、あっちの方は……」
「いえ、ですからアッシムカ人なのはロミオだけで、ランネル議員は正真正銘アイフォン人です。ただ、十年前にはカリアニート派へ多額の資金提供を行っていました。理由は解りません。キセーがゾルドバスに吸収される事を良しとする思想家だったのかもしれません」
 ちょっと待てよ、とジャックはこめかみから指を離して椅子を回転させ、佇むナイトに向き直った。
「話が全く見えてこないんだが」
 ナイトは不機嫌な声に視線を落とし、相手と目線を絡ませた。そして頷くと、落ち着いた声で答える。
「最初の銃殺事件において殺害された二人の男性は、一人はアッシムカ人で、もう一人はアイフォン人、でも二人ともアッシムカ国の前身である旧キセー帝国のカリアニート派でした、ということです」
 馬鹿にしてんのか、とジャックは唸る。
「そんな事は解ってるよ。そうじゃなくて、そのキセー帝国のなんとか派とか左翼とか、俺はその辺に明るくないんだ、学が無いからな。そもそもそのカリなんとか派ってのは何だ?」
 肩を竦め、おどけた調子で両手を広げる。左手が机に触れ、小さくくぐもった音がした。
 ナイトは右上の空中を凝視して、選ぶべき言葉を捜しているようだった。やがて彼がした様に眉間に人差し指を押し当てながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「簡単に言えば、十年前の侵略戦争の時に、降参するか戦うかでキセー帝国は二つに割れていたんです。迎合すべきだと言った左翼がカリアニート率いるカリアニート派で、断固として戦うとした右翼が皇帝の下に結集したツァーリ派です。軍部はツァーリ派下にあったものの、世論を煽ったカリアニート達によって士気が下がって相当な苦戦を強いられたと聞きます」
「なんだ、国内でも喧嘩してた訳か? で、結局最後には負けたんだよな、キセーは」
「それでアッシムカ国の誕生、という訳です。今でこそツァーリ派は消えてしまった訳ですが、当時の確執は相当なものだったようですよ。今現在もカリアニートを売国奴呼ばわりするアッシムカ人もいるようで」
 ジャックは何度か首を縦に振り、くたびれた声を上げた。
「ああ、売国奴だな。俺なら殺してる」
 まあ、話は色々と複雑なんですが、とナイトは苦笑して書類を手に取った。
「彼は終戦後暫くしてから姿を見せなくなりました。そういった恨み辛みが形になって襲い掛かるのを恐れ、どこか南の島に隠れているという噂もありますけど。逃げも隠れもしないどころか見事に復興させたヴィルヘルム将軍とは大違いですね。ああ、今は元帥でしたっけ」
 ジャックはナイトの顔を見上げながら、帽子の隙間に指を入れて頭皮を掻いた。
 まったく、この坊やは。
 流石、警察学校主席卒業の看板は伊達ではないと思う。しかしそんな内心での感嘆はおくびにも出さず、ジャックは机に肘をついた。
「じゃあ、お前はアレか、政治的な怨恨絡みだって言いたい訳か? しかしなあ、一大組織だった訳だろう、そのカリアニート派ってのは。なら特に名声高い訳でもない彼ら二人だけを殺したってのも腑に落ちないし、いちいち右だ左だで終わった事に外国来てまでタマ取ろうとする奴がいるとは思えないんだが」
 そう言うと、ナイトは神妙な面持ちで彼の顔を見つめた。
「オレ達は戦争を知りません」
 ジャックはその言葉に肩を竦め、ポケットの中から煙草を取り出した。
 その通り、彼らの世代は戦争を体験していない。遥か北の国で大きな戦が繰り広げられ、アイフォンゼーベル国が先に手を出したゾルドバスに対して批判的な声明を出し、その活字が新聞に躍る頃、ジャックは高等学校の演劇愛好会で声を張り上げていた。何万人もの血が大地を染めている間、彼は役者になりたいという漠然とした夢に日々を摩滅させていた。ナイトに至ってはまだ初等学校で鼻水を垂らしていた頃だろう。
 厳然とした隔たりがあるのだ。
 そう、まるで今の自分と恋人のように。
「国際刑事課、回すべきかな。部長は何と?」
 苛立たしげに、彼女の事を追い遣る様にマッチを擦って煙草の先に火を点す。
 強い燐の匂いが鼻についた。
「いえ、まだ。つい先刻手に入れた情報ですから。それに、国際刑事課は大丈夫なんですか? 余り目立った話を聞かない――というか、オレ達とやってることは変わらないと思うんですけど」
 その通り、国際と名の付くだけで一見すると普通の刑事課と大して変わらない。
 と言うのも、何しろ表沙汰には出来ない政治絡みの案件を扱う為、裏でどんな事件を捜査しているかは周りからは全く判らないのだ。
 いずれにせよ、部長の判断がいる。この銃殺事件捜査責任者は彼なのだ。
「やるとしたら合同捜査だな。どうせ美味しいとこ持ってかれんだろうな」
 煙草の煙と共にぼやいた彼に、ナイトは小さく眉を上げて困ったように微笑した。
 その時、扉が開いて一人の黒い背広の男が颯爽と入ってきた。彼は振り向いたナイトとジャックには目もくれず、大股に部屋を横切ると、奥の部屋を目指す。その部屋の古臭い木造の扉には金のプレートで「資料室」と刻まれており、その名の通り中には今迄に起きた事件の資料が置かれていた。彼はノブに手をやると、矢張りこちらを見もせずに「失礼、続けて」と空いた片手を振って中へと消える。
 ジャックは扉の閉まる音を聞くと、「美食家の登場だ」と呟いて足を組み直した。
 資料室には刑事なら誰でも入れる。こうして別の課の人間が資料を漁りにやって来るのも日常茶飯事だった。
 とにかく、と水を差されたナイトが咳払いをした。
「部長が帰ってきてからですね。それにこの情報で更に不安が増しました」
「何?」
「もしも犯人が純粋な怨恨目的であると仮定した場合、そいつはまだ元カリアニート派だった人間を殺す可能性がある。一刻も早く捜査網を拡大して、逮捕しなくちゃなりません」
 ジャックは煙草を取り落としそうになった。
 その通り、正にその通りだった。何故すぐに思い浮かばなかったのだろう。
 教科書通りのその正当な言葉に、彼は不甲斐無さと僅かな苛立ちを再び燃焼させる。
「特にカリアニート派の人間の身辺の警護をする必要があります。と言っても、余程名の知れた者でない限りは誰がその派閥にいたかなんて判りっこないのですが……。しかし、明日明後日のうちにアッシムカからハムラという大物の商人が渡来します。彼は派の一翼を担っていました。絶対に目を離しちゃいけません」
 熱弁を振るうナイトを見ながら、ジャックはその言葉が段々と異国語のように聞こえてくるのを覚えた。彼の言葉は正しい。刑事なら誰だって同じことをしようとするだろう。
 彼女だって正しかった。
 恋人なら誰だって、ああ言うだろう――。
「お前、そんな情報をどこから手に入れた?」
 不意に言葉がついて出た。
 肺の隅々まで行き渡った煙が、血液を鈍色に変えてゆく。
 突然の問いにやや狼狽したナイトは、
「その、それなりに伝手を持っていますから」
と言いにくそうに答える。
 刹那、睡眠不足と煙草の煙の所為でぼんやりとした脳がスイッチを押す音が聞こえた。
 ありがたいね、と皮肉げに口元を歪めて言う。金髪の青年は不審そうな顔を作り、持っていた書類を持ち直して相手の言葉の続きを待った。俄かに体が硬直してゆくのが見てとれる。
「ああ、ありがたいね。お前みたいな特別な人間が居てくれると手間が省けるよ」
「そういう言い方は止めてください」
 睨みつける青年に、ジャックは疲れた笑みで答えた。「なあ、教えてやろうか、」不健康そうな顔色で、同じく隈を作って構えているナイトを一瞥する。
 止められなかった。
 言葉はすらすらと、湧き出る水のように溢れてくる。
「お前みたいなトーシロがなんでこの捜査の中枢に居られるか、前も聞いてきたよな。いいさ、教えてやる。あのヨーク侯爵がこう仰ったのさ、『私の息子の手柄を期待している。さもなくば、刑事の道を諦める挫折を望んでいる』ってな」
 その途端、さっとナイトの頬に赤みがさす。そして次の瞬間には真っ青な顔になり、愕然とジャックの顔を凝視した。
 どこか遠い場所で、ジャックはその絶望の感情を眺めていた。
「認めろよ。お前は特別なんだ」
 暫くの間その青い目で彼の相貌を見つめていたナイトは、柳眉を吊り上げて踵を返した。
「警護に付く者を手配します、」と搾り出すように言ってから、振り返らずに扉へと突進する。弾ける様な音でドアが閉まると、ジャックは煙草を捻り消した。
 小さく罵り言葉を呟き、自分の愚かさを呪う。
 彼は悪くない。彼が侯爵家に生まれ、何不自由なく育っただろうことは彼の所為ではない。寧ろそれを負い目に感じて自分の居場所を模索していることも端から見ていて判る。今だって、彼なりに必死に仕事をしているし、情報源がどこであれ彼の持ってきたネタは非常に重要なものだった。
 褒められこそすれ、罵られる理など無い。
 扉が小さく開く音がしても、ジャックは椅子に座って机の上を睨んだまま動かなかった。
「あれが噂のヨーク刑事かな? 駄目でしょうが、苛めちゃあ」
 億劫に首を回すと、両手に書類を持った先程の男が資料室の前でその字面を追っていた。ジャックは答えず、もう一度机に目を遣る。
「国際刑事課に用は無い」
「知ってるよ。美味しいとこばっかり持ってってごめんなさいね。御用の際は何時でもどうぞ」
 小馬鹿にしたような台詞を滑らかな美声で言われると、腹を立てるべきか無視すべきか戸惑う。聞いてやがったな、と口の中でぼやいてから頬杖をついた。
 黒髪の男は書類を読みながらゆっくりと歩み、ジャックの椅子の後ろで立ち止まる。
 彼の方がジャックとは幾らか年上で課も異なるが、お互い同僚のように口を利く仲だった。
「可愛い部下には捜査させろってね。でも八つ当たりは良くない。非常に良くない。君の言葉を苦にして自殺した彼の霊が毎晩毎晩枕元で軍談を謳う日も近いだろう。優秀な警察官を損失させた罪は重いよ」
「勝手に話を作るな。解ってる、悪いのは俺だよ――最悪だ。何もかも最悪だよ、ロスペル」
 恋人といい、ナイトといい、彼ら自身に問題がある訳ではないのに。
 偉そうに先輩面していてこの様だ。せめて丸一日眠ることが出来ていたなら、あんな態度を取らずに済んだだろうに。しかし、そんな言い訳は子供の戯言に過ぎない。
「まだ死ぬね」
 落ち着いた声が降ってきた。
 ジャックにはその不吉な台詞を否定する気が起きなかった。
「何か掴んでるんなら、教えろ」
「掴んでるのは君達の方だろう。死んだと言われていた焔蓮華の一族がこの街に居る事、どうして黙っていた?」
「なんだって?」
 思わず身を捩って背後に佇む男の顔を見上げた。彼はまだ書類から目を上げず、ジャックは苛立ち紛れにその紙をひったくった。その奥から現れた青緑の瞳が静かにジャックの視線と絡まる。
 焔蓮華と言えば、かつて栄華を誇った黎花国の王の末裔だ。何故その名が唐突に相手の口から飛び出したのか、ジャックはすぐには理解出来なかった。
 本当に気付かなかったのか、と黒髪の男は揶揄するように肩を竦めてみせる。
「僕達にはこっちの方が問題だ。ややこしい話になりそうだからね」
 ジャックは呆然と口を半開きにし、暫くの間の後、目を見開いてああと大きな声を上げた。


 大股で廊下を突っ切り、肩をいからせながら向かった先は、例の休憩室だった。午前中なので誰も休んでいる者はおらず、それを知っていたからナイトは人の気配を探る事も無く乱暴に扉を開けて部屋へと入った。
 古びたソファに座りこむと、スプリングの錆が擦れ合う耳障りな音が聞こえた。そのまま片手で顔を覆う。
 実家にはもう六年帰っていない。小さな森の中の静謐な泉を南に見下ろす丘の上に立つ荘厳で厳粛な館、生まれた時からそこに居たにも関わらず、彼には自分がまるでその場に相応しくない人間だということを感じていた。
 ヨーク家は名実共に国内で五本の指に入る爵家である。エヘル王国時代から粛々と続く血統は今も威厳に満ち、小アイフォンの政や経済にも強い影響を与えている。過去には二人の高位司教を出し、中世の貴族院の議長を務めた者もいる。
 社交界では、自分は良い笑いの種だった。官憲の犬、しかも上層部ではなく使い走りの末端に成り下がったヨークの長男、と言えば余りに有名だった。母は泣いたし、父は黙して口を利こうともしない。あの場にそぐわないから此方に馴染もうと努力してきたはずなのに、ここでもまた不知の内に周囲を掻き乱していたとは。
 まさか、父が。
 ヨーク侯爵がそんな根回しをしていたなんて。
 吐く息が震えた。
 いつしか自分というものを抑え抑えて生きる癖がついている事に気付いたのは、もう大分前の事だ。自分は変わらない。変わることが出来ない。
 あの男のように――。
 少なくとも表面上は、何事も笑顔でかわし、流されるようで揺るぎなく、端然と佇む事が出来れば良いのに。
(違う。オレが欲しいのは、濁流を平気な顔をして歩く術じゃなくて)
 延々と渦巻く思索の螺旋に落ち込んだ彼の耳に、ノックの音が聞こえた。次いで、扉を開ける音と少女の声がする。
「お兄様、元気?」
 ナイトは緩々と顔を上げた。
 そしてドアから半分身を出し、唇を三日月形にしている少女を半目で見つめ、曖昧に頷く。
 彼女の後ろに立つ、どうやら案内役だったらしい婦警がその微笑ましい兄妹の姿に頬を緩ませながら姿を消すと、彼は漸く言葉らしい言葉を発した。
「あんまりここに来るなって言ったろ。お前は目立つんだから」
「何言ってんのさ。兄貴だって十分目立ってるじゃない、この間新聞の隅っこに載ってたろ。お陰であたしも学級の人気者だよ。これで事件を解決してくれたらそれこそヒーローだね」
 ソフィアは手近にあった椅子に座って脚を組むと、本来の気性を顕わにする。毎度の事ながら、ナイトは彼女の豹変の見事さに溜飲の下がる思いがした。あちらの界隈では「優雅で礼儀正しい美少女」と評判だ。その実態は「虎視眈々と当主を狙う粗暴な少女」であるというのに。
 ナイトは沈黙して次の言葉を待つ。
 しかしいつまで経っても妹が何も言わないのに業を煮やし、「用は」と尋ねた。
「別に、なんでもないんだけど。ちゃんとご飯食べてるのかなってさ」
「死なない程度にはね。お前はどうなんだ? 変な友達作るんじゃないぞ」
 揶揄され、ソフィアは下唇を突き出して肩を竦めて見せた。
「つい昨日出来たよ。自分の事をお姫様って言う奴。変わった子供だったなあ」
 お前とどちらが、と口を挟もうとしてナイトは口を噤んだ。「その子と国立公園で流星群見に行く約束したよ。――ああ、多分長老様とかついて来てくださるから平気だよ。子供だけで夜中の公園に行くのは流石にね」
「長老?」
 ナイトは不意に奇妙な動悸を感じて僅かに眉を顰めた。変な子供に、長老。つい最近自分はそんな案件を扱った。爪の光沢を気にしながら、ソフィアは何気なく続ける。
「そ、グスタフのアレクサンドル長老。格好良いんだよ」
 ――ナイトは、瞠若すべきか哄笑すべきか判らず、結局もう一度顔を覆った。



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